ルネッサンス・ツアー

 

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ポンターノ礼拝堂o

カタロニア美術(1380-1435)が人気を博した後、フィレンツェより少し遅れてナポリにも美の再生をかかげた文化運動の波がやってきました。1442年、王政は繁栄を極めていたアラゴン家に移ります。人文主義の熱心な信者であったアフフォンゾ5世は、ナポリを新しい壁に囲まれ、豪華で優れた役所のある街にしたいと考えていました。その計画を実行するには、地元の芸術家・建築家たちの手だけには負えなかったため、王と地元貴族は、優秀な商人と銀行員、トスカーナで活躍していた芸術家たちをフィレンツェから呼び寄せました。当時を代表する建築物・カラファとクオモ邸をはじめ、旧市街のいたるところに当時の名残が残っています。1506年からナポリはスペイン統治下に置かれ、管轄植民地の中心地となりました。服属関係を強いられざるをえなかったにもかかわらず、街は大きく変化を遂げ、大きくなっていきました。有名なトレド通り(Via Toledo)が開かれたのもこの時期であり、首都にふさわしい教会や宮殿も建てられました。一方で芸術の面においては、あまり変化は遂げませんでした。ナポリの芸術家達に、ロンバルディ、ローマ、トスカーナ出身の芸術家達により古典主義とマニエリスムに多少影響をうけていた頃は、すでに1610年になっていました。17世紀にバロックの時代は終わりを告げ、このことが街にひとつの特性をあたえました。ナポリの装飾美術や絵画がローマやトスカーナのマニエリズモから学んでいました。街の偉人ジョヴァンニ・ダ・ノラとジローラモ・サンタクローチェの銅像もとっくに壊されていたでしょう。それだけバロック美術の影響は大きかったのです。
文:ジェナンロ・ボッレッリ

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